私がその日、事務所に足を運んだのは、翌日、話の聞き取りと調査を兼ねて、依頼者の自宅へ行くための下準備をするためであった。ゴールデンウィークが終わり、梅雨がほぼ目の前にある曇った日だった。
「明日の準備?」と春子さんが訊いた。
「そうです。先方に提出する資料を作ったので、持田さんに見てもらおうと」
「いま、ちょっと立て込んでるみたいよ。ほら、室田さんの件、どうやら決着したみたいだから」
「いまちょうどそれは終わったんで」と持田さんが資料を持ってあらわれる。
「<桜色仙台城>氏は、言ったんですか?」と私は訊いた。
「言ったよ。本命がいるって。学生時代から付き合ってるらしい。9年だか、10年だか」
10年。10年、と言えば私がまだ中二病という感染当時は不治の病とすら思われるが、通りすぎてみると恥ずかしいだけの悲しい病にかかっていたころではないか。そう思えばじつに気の遠くなるような長さである。
「まあ、その前にその作ってきたという資料を寄越せ。見てみる」
私は持田さんに資料を渡し、ソファに腰掛けた。
予定では、<桜色仙台城>氏が本命の彼女の存在を岬京子に打ち明けた場合、そこから本命と<桜色仙台城>氏を別れさせ、言わなかった場合は、本命の彼女が仙台にやって来るときを狙って、鉢合わせる、という手はずだったはずだ。
言ったということは、真っ当に別れさせたということだろうか? などと私が延々結論の出ない堂々巡りをしているうちに、持田さんは私の資料に目を通し終え、正面に腰掛けた。
「あんまり出来はよくないが、まあ、及第点をやろう」
「ありがとうございます」
「まあ、出来はよくないが」と持田さんはもういちど念を押すように言った。
「で、だ。気になっているだろうから、室田さんの結果を教えてやろう」
そして、持田さんはポケットからタバコを取り出し、火を--点ける直前に春子さんに止められた。
「禁煙になったと何度言えばわかるのかしら?」とベランダを笑顔で指す。
「いや、失礼しました」
これはもう一種のコント的なお約束である。この4月から、オフィスは禁煙になったらしく、社長も持田さんもそのクセが抜けない。3日に1度くらいは注意されているが、不思議と注意するひとがいないときは、灰皿がないことに気づいてベランダに出る。ふたりとも結果的には決まりは守ることになるのである。
私と持田さんは連れ立って、ベランダにある喫煙所に行った。
「言いはしたが、別れるまでには至らなかった」と持田さんは火を点けながら言った。
「<桜色仙台城>氏が別れたくないと?」
「いや、そこまで強くも言わなかったらしい。まあ、そこで別れたくないってはっきり言えるようなら、岬京子とも室田さんとも別れてるだろ。それだけに室田さんにもチャンスはまあ、あるわけだし」
「そう……ですね」と私はあいづちを打つ。
「ただまあ、予想通りというか、調査通りというか、煮え切らなくてずいぶんそこからモメた。ただ、もうその段階になると岬京子からある程度本命の情報は流れてきたから、本人の特定もできてたので、やむを得ず鉢合わせプランに変更、と」
「ああ、結局、そうなるんですか」と私は煙を吐き出しながら言った。
「明日行く予定の件も、場合によっちゃ鉢合わせになるかもしれない」
「鉢合わせないように考えた、って持田さん言ってませんでした?」
「まあ、ただ、今回も鉢合わせる必要はないと思ってたからな。場合によってはあるよ」
「鉢合わせって、どうなんですか?」と私は尋ねた。
「いやあ、気まずいよ、やっぱり」と持田さんは苦そうに言った。「というか、修羅場になるからね、たいてい。今回もできるなら鉢合わせさせたくなかったけどね」
「ただ、二股は認めても、別れるとは言ってくれなかった、と」
「まあ、そうだな」
しかし、<桜色仙台城>、なかなかどうしてやってくれるものである。二股までは目をつぶれはしないが、まあ、2万歩くらい譲って許容しなくもないが、しかし、三股とはこれ如何に。いや、むろん、許せるはずがない。絶対にだ。そもそも私が恋愛社会主義者であることは前も述べたとおりであるが、いや、長くなるからやめよう。要するに、私に、彼女を、くれ、と要約できるたぐいの話は長くする意味は私以外にはさほどないはずだ。私は空気が読める男なので、それくらいはわかる。だから、空気の読める彼氏を探している女性には大チャンスと言えなくもないだろう。
「多少、<桜色仙台城>氏もこの修羅場で思うところがあってもいいんじゃないですかねえ」
「なんだ、えらくつらく当たるじゃないか」
「三股ですよ? 許せますか? これ、許せないでしょう? ひとつは工作とは言え、許せるレベルってものがあるでしょう。女性と3人に付き合うなど、戯言ですよ、世も末ってやつですよ」
「一夫多妻制は結構あるパターンだと思ったが」
「現代日本は一夫一婦制にござる」
「まあ、そうだけどな。でも、<桜色仙台城>には多少つらい結果だったこともまあ、事実だよ」
「<桜色仙台城>氏はとりあえずおいておいて、依頼者は室田さんですからね。依頼自体は成功なんですか?」と私は極正論を述べた。
持田さんはタバコを灰皿でもみ消した。
9話 強気なアラフォーと桜色仙台城【終】
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8話 煮え切らない男
2023-03-10
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